英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その3)
3. 高等教育とは無縁のシェイクスピア
父親ジョンの借金による家計の逼迫から、シェイクスピアが中学校以上の教育をあきらめざるを得なかったと指摘する研究者も多くいるが、ここで看過できない事実は、大学での高等教育とそれに伴う学友ないしは指導者との学術的交流の恩恵に与れなかった彼が偉大な戯曲を書くことになんら問題がなかったという点だ。言葉の持つ意味やリズムやサウンドといったものに対する純粋な興味と、演劇に対する天才的で生まれつきの勘の良さに加えて、脚本と演出技法における進取の気質が相乗効果を産み出し、シェイクスピアはエリザベス朝の観衆があっと驚くような舞台を作り出してきた。同時期に活躍していた、戯曲作家はケンブリッジ大学のクリストファー・マーローを始め、オックスフォード大学出身のジョン・リリーやトーマス・キッドなどはユニバーシティ・ウィッツと呼ばれる一流大学出身者であったことを考えると、高等教育は必ずしもエリザベス朝とジェイコビアン朝の舞台の成功に必要ではなかったのである。
ところが、ユニバーシティ・ウィッツに代表されるインテリ作家たちから、シェイクスピアが全く影響を受けなかったということはない。例えば、キッドの著した復讐劇である「スペインの悲劇」は、シェイクスピアの「ハムレット」の作風に①復讐が同悲劇の最大の主題、②暗殺された父親が幽霊のキャラクターとなって事実を暴露、③「生きるべきか死ぬべきか」などの独白の多様、④エピソードをアクションごとに分けている、⑤劇中に信頼できる腹心(ホレーシオ)を登用しているなどの点で大きな影響を与えている。
また、マーローの「ファウスタス博士」を例に挙げると、主人公にくりかえし焦点を当て、その動機と心理の複雑さを丹念にひもといている点は、「ハムレット」の精神世界を描いた作風に色濃く出ている。マーローが居酒屋でのトラブルで刺殺される1593年には、彼とシェイクスピアはほぼ同じ数の戯曲(シェイクスピア6作品に対し、マーローは5作品)を書いているが、当時の演劇評論家の大多数は、詩のテクニックを必要とする韻文の精巧さの点で、マーローの方が優れていると記している。
ユニバーシティ・ウィッツとシェイクスピアの共通点は、両者がある意味で、教養のある観衆と一般観衆のギャップを埋めるような作品を目指していたことである。シェイクスピアが劇作家としての基礎を築いたのは、古典劇と中世劇の融合というユニバーシティ・ウィッツの革新的な試みを取り入れたことによるところもあるが、その一方で観る側の教育の有無に関係なく、幅広い客層から支持を集めたのは、スキャンダルや戦争あるいは純愛といった人の心をひきつけるストーリーを、戯曲の素材としてふんだんに使っていたところによるのである。
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