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英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その14)

14. チャンバレン伯爵の一座から王様の一座へ

16世紀後半のイギリスにおいて、演劇だけで食べているプロの役者はほんの一握りで、彼らの存在はいまだに目新しいものの、役者であること自体はロンドンの人々から一目おかれていた。役者といってもほとんどがアマチュアで、道徳劇やミステリー劇などを教会の祭事で行うギルドのメンバーや、地方の村祭りでパントマイムやアクロバットをする芸人などが片手間で舞台に立っていたのが実情だ。したがって、普段は大工、仕立て屋、修理工などをしているが、公演の時はにわかに役者になる者も相当数いたのである。ところが、ロンドンの人口が爆発的に増加し、膨大な数の中流階級が出現すると、演劇がどんどん盛んになり、観る側の目も肥え、演じる側の資質も見直された。結果として、多くのプロの役者が輩出して、ますますロンドン演劇を盛り上げていくことになる。

1604年にエリザベス女王が他界して、ジェームズ1世の時代になると、シェイクスピアの劇団はチャンバレン伯爵の一座から王様の一座へ改名した。結成当初は5人前後だった役者数も、20人以上の大所帯へと成長していた。当時のロンドンでは王様の一座のような成人主体の劇団が少なくとも12あったと言われている。こういった劇団では、役者、プロデューサー、ディレクターといった主要なメンバーが株主になって、衣装や小道具の購入から売上金の管理、経費の支払い、株主への配当まで直接的な経営権を握り、民主的な劇団運営がされていた。株主のほとんどがチケット売上の半分を収入として手にし、残りは公演費用や劇場整備に回していたことから、彼らは事業主として確固たる経営理念を持ち、劇団経営を堅実に進めていたことがわかる。株主になるにはまとまったお金を劇団に預ける上、最低でも3年間は同じ劇団に所属しなければならなかったので、それ相応の覚悟は必要であり、役者はもはやアマチュアによる片手間というわけにはいかなくなったのである。

株主にならずに劇団に所属するものは雇われ人と呼ばれ、5シリングから6シリングの給料を週払いで受け取り、芝居の端役のほか、衣装係やステージ・マネージャー、ミュージシャン、場内の清掃管理などを担当していた。しばらくして、劇団への忠誠や役者としての努力あるいは才能などといった資質が認められると、株主になる機会が与えられ、申し出を受けた者の多くは借金をしてでも株主になった。

劇団には4人から6人の少年が役者見習いとして興行に参加しているのが普通で、見習い期間は3年から12年、年齢は10代から20代までおり、ダンスや歌、楽器の演奏、女性のしぐさや物言いなどを専ら稽古していた。稽古を続けていき、舞台出演が許されると、決まって若い女性の役を任される。たとえば、「ロミオとジュリエット」のジュリエット役などである。エリザベス朝の演劇では女性が舞台に立つことはなく、若い女性役は少年が、年老いた女性役は成人男性が演じていた。しかしながら、少年が若い女性役を演じることができたのは声変わりする思春期までであって、その後は役者の世界に入れる者もいたが、たいていは上述のような雇われ人になっていった。

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